恥や悔しさの道案内。

強烈な感情は、記憶にこびりつき、感情的な記憶は、当時の感覚をそのままにフラッシュバックさせる。それは、人を突き動かす原動力のうち、最たるもののひとつに分類される。

感情的な記憶と、そこにある試行錯誤の繰り返しは、何よりも自分の実力を形成する。百万回間違えるということは、百万回正しくないルートを知ることと同義だ。もしも、正しくないルートを、百万通りも記憶していたとしたら、むしろ正しいルートを 選択しないほうが難しくなるに違いない。

恥をかき、悔しい思いをして、間違えれば間違えるほど、正しくないルートを記憶することができる。すると、正しいルートを歩む確率は、確実に向上せざるおえない。

時として、責任の重大な仕事においては、ひとつの間違いも許されないことがある。しかしそんな場合でも、日々、最大限の力を尽くすという共通事項は変わらない。さらに、だからこそ「テスト」という訓練がある。自らを、あるいは自らの能力を何度も何度もテストすることだ。日々、自らを本気でテストし続けるなら、そこでおかした間違いと、悔しさや恥ずかしさの感情は必ず自らを正しい道へ案内する地図として、役割を果たすに違いない。

反省や後悔は、するだけでは意味が無い。正誤判断という自らの指針として、力に変えてこそ価値を発揮するのだ。すべての瞬間を生きる力として用いよう。すると、自分が、意図せず勝手に成長してしまうことになる。自然体の者が強いのには、こうした理由があるのかもしれない。