日々は連鎖する。

卵が先か鶏が先か。結果が先か、要因が先か。そんなことに答えは見つからないけれどともかく、現実の好転が肌で感じられた時、その要因についてすぐに思い当たる。

その要因とは、「辛抱」だ。辛抱の継続は、心のバランス機能によって、ものごとに良い解釈をもたらす。あるいは本当に良いことが起こっていくのか、それは知らない。兎にも角にも、幸運に納得できる理由を自らに自らで用意できるというのは、おそらく思っているよりも大切なのだろう。

仮に生じた幸運を、自らに不相応と感じるならば、それはプラスマイナスゼロへと帰結するに違いないのだ。納得とは傲慢さではなく自信そのものだ。それをもたらし、また築きうるのは、日々を大切にした歩み以外ないといっていい。

日々は心によって連鎖する。