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自律録

依存の危険性?

「依存」の危険性は何か。それは、「麻痺」に他ならない。

全体は部分から構成される。 また、部分を全体たらしめる統制機能というのがある。日々を部分とするならば、生涯は全体だろう。統制機能とは、長期的視野に基づく、決定意思のことになる。つまり、知性と勇気、覚悟などで、また、これもあらゆる統合から成り立つ。

さて、話を身体に持ってくる。ある日、「快楽」に負けてしまったとしよう。しばらくしてか、翌日にでも多少の反動がやってくるのはお決まりだ。反動によってその日の行動力や、やる気は削がれてしまうかもしれない。もし、人生の有限性を考慮するならば、その過ちに一度気がついた時点で対策を練るのが普通だ。

しかし、「麻痺」は過ちを改めさせない。思考停止は、過ちを繰り返す。耐性の問題ではない。話の根幹は「依存」についての検討だ。

部分の中には、確かに少しくらい欠落しても、大した問題にならないものもあるだろう。しかし、その部分が、少しでも統制機能や「麻痺」に関わるものならば、話は違ってくる。さらにいえば、麻痺してからでは遅いのだ。だから、その部分である対象が、麻痺をもたらすのかどうか分からない場合、最悪のリスクを考慮するならば、それを欠落させることはできない。

とはいったものの、全体や人生や長期性が一体なんだというのか、とも思う。なぜなら最も貴重なのは、過去でもなく、未来でもなく、今体感しているこの現在であるということについて、疑う余地はない。僕らが今何かを出来るのは、今生きているからであり、過去は生きていた、であり、未来は生きているかもしれない、であってこの2つは今を起点としたイメージに過ぎない。過去は忘れ去られては美化され変化し続ける。未来は今の次にあるだろうことの話だ。

依存が危険であると想定したにせよ、今に素直に生きた結果として、依存が深まるならば、それを前提に向き合う術を考慮するしか無い。危険は、どうも避けるだけが対処の全てでは無いようだ。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という。向き合えばこそ、得られる宝があるのだろう。