外部に翻弄される必要はない。

準備が必要な物事というのがある。いつだって早急に済ませたいところだが、そううまくいくものではない。遅々として進む。

しかし、だからこそ、準備中にも関わらず、世界が大きく動き出していくことは少なくない。そんな時、もっと早くに備えていればと、大抵思ってしまうものだ。何も行動を起こしていなければ、無念な気持ちすら出てこなかったかもしれないが、準備中だったからこそ、強い悔しさを感じることになる。

さて、そこで踏みとどまらなければならない。悔しさをバネに、準備を再開するのだ。チャンスは巡る。過ぎ去ったものに執着せず、次に備えよ。さらに想定し、再検討せよ。こうした段階的行為と準備の有効性には、ある程度の不変さがある。もう一度、視野を長期的に振り向けて一歩を踏み出すのだ。

備えることそれ自体においては、早過ぎることも、遅過ぎることもない。だから、外部の変化に翻弄される必要はない。ただただ、自らの想定における準備を、こつこつとこなしていくことだけが重要なのだ。

想定を上回る変化への対応は、想定を変えることによってなされればよい。でなければ、人間は常にその場しのぎで、生きることになるだろう。それもよいかもしれないが、やはり別の楽しみ方もあるというものだ。