地図はポッケにしまって。

やってみたいことにはきりがない。一つ目の階段を上がれば、さあ二段目が待っている。一つ目のトンネルを抜けようが、道に終わりはない。一つ目の壁を乗り越えたら、さらに大きな壁が立ちふさがる。

楽しい時はいいのだ。段階的に進む喜びは大きい。しかし道中、厳しい季節はやってくる。そんなときはとりあえず、地図はポッケにしまっておきたい。

さて、そうして、地図のことは一旦忘れて、目の前の喜びや楽しみにひとつでも気がつけたらしめたものだ。

ただやはり、まだ途中だったものごとが気がかりになる。心は再開を焦らせるが、はたしてその理由は?

途中のものごとでも、視点を変えて、今の楽しみと組み合わせることはできないだろうか。地図は数十枚もあるかもしれないが、それに対して人生はひとつだけだ。今もひとつしかない。そして、思っているよりも、いつだって今は短い。ならば、中途半端な材料を上手く組み合わせていこう。

たとえば、地図の目的地を目指す探検家の一面とは別に、手に入れた材料を組み合わせては、楽しみを創り出す料理人としての一面をどうか意識したい。新しい料理は、再び探検に駆り出すときに、きっと役に立つはずだ。「おいしい」という感覚は、目的ではなく現実だ。そうした現実を味わえば、さらなる「おいしさ」をひとりでに求めだす。

もはや、この探検家は旅人に変わる。いつだって地図の目的地は今に変わる。旅人の持ち物は「自由」だけになるが、そうでなければ、これを失うのだ。だから、必ずしもお気楽なものではない。支配との闘争でもあるのだから。ゆえに、その歩みの力強さは他の比ではなくなる。

ふと気が付けば、あの日ポッケにしまった地図の印は、とうの昔に踏み越えていたことに驚くのかもしれない。