態度と流れ。

なぜか、金銭を介在させると、ものを頼む者がたいてい偉そうになる傾向がある。普通、立場としては、何かしらを頼まれる方に価値がある。実際に仕事を成すのは、紙切れや金属ではなく、その人であるから。

謙虚さとは、単純にこの摂理に則った態度であるように思う。傲慢さとは、立場がどこであれ、偉そうな態度のことだろう。

だから、素直でありたい。そして、立場に関係なく、態度を変えないようにありたい。自分の傲慢さで、最も苦しむことになるのは、他でもなく自分自身だ。そして人も不快にする。何もいいことはない。

人間関係の構築には、大抵ある程度の時間がかかる。しかし、それが壊れる瞬間や、失う瞬間は一瞬だ。そして、一度そうなれば、再構築は至難を極める。それを考えるなら、傲慢さほど割に合わない態度はない、

誰に対しても、平等に接するのは、摂理に則した生き方だ。それぞれの存在には、それぞれ性質の違いが大いにあれども、優劣は客観的にありえない話なのだ。分子構造の優劣を議論することが無意味なように、性別や国、年齢や立場の違いについての優劣を議論することも無意味だ。

周囲と異なるあり方で生きようとも、摂理に則した態度を心掛けるなら、いつだって世界は味方になる。風は、追い風となり、川の流れが、心地よく身体を運んでくれる。喉が乾けば、水が湧く。腹が減れば食物も溢れる。

だから、大衆的に右往左往することの無意味さを知りたい。謙虚で素直であれば、世界を味方につけていくことは、難しいとは思えない。

どうか、流されることなく、流れに乗りたい。