操り人形になってはいないか。

誰かに頼りにされる。そのこと自体はとてもいい。誰かから、何かをやってほしいと頼まれる。そこまでは何の問題もないのだ。自分がやりたければやり、やりたくなければやらなければいい。選択の問題。それだけのことだから。

さて、今、自分が自分に仕事を課し、それをこなす時間はとれているだろうか。誰かの仕事ばかりに時間を費やしすぎてはいないか。いつも考えてみる必要があるように思う。誰かの仕事をやるにしても、それを自分の仕事としてとらえなおすことができているだろうか。自らのやりたいこととしてみることができないならば、正直に言って、やめた方がいいことも多いはずだ。

そんなとき、自分にこう問いかけたい。「お金の操り人形になってはいないか。踊らされるな。自らで踊れ。」お金はただの紙切れで、自分の心がその価値を決めている。選択権を忘れてはなるまい。誰かにそれを任せてはならない。でないと自分を見失う。操られないことが一番だが、仮に操られるにせよ、それを自らで選び取ったということだけは忘れないようにしたい。

一度しか訪れないこの時間を、自らが最も重要と決めたことに費やしたい。だから、時には休むことも必要かもしれないし、時には働くことも必要かもしれない。また時には遊ぶことも、当然求めてしかるべきだろう。そしてそれは、誰かが決めることではない。仮に判断が間違っていようとも、自分で決めることだ。そして、それを経験し、成長していくところに、醍醐味があるように思う。