際限のない旅路

やりたいことをやろうとすれば、やるべきことが増えていく。為すことが増えるにつれて、できることも増えていき、自らの自由は拡大する。自由の拡大は、新たな想像を喚起して、その現実化のために身体はさらに息づいていく。

自らに課した作業をひとつ終えるごとに、また別の作業が増えていくことに気がつく。何かを成し遂げると同時に、また新たな何かが始まる。連鎖しては拡大していく作業や仕事の中で、自然と成長していく自分に驚くものだ。

とめどない自らの欲望のその性質を味方につければ、際限なき好循環の中で生きることができる。まるで散歩だ。行きたいところに行く。止まりたいところで止まる。見たいものを見る。探したいものを探す。目的は、いつだって何処かにはなくて、すぐ目の前の手の届くところにある。しかし、知らず知らずに歩幅は広がり、1日の歩みの強さは増していく。

そのときにできることを、そして、なおかつ、そのときにしたいことを、欲するままに行う。似たようなことを何かで読んだ覚えがある。「心の欲する所に従えども矩を踰えず」

理想的な生き方は、必ずしも、はるか先の手の届かない理想そのものにあるわけではなく、むしろ、今日の可能性と行動力と欲望の合さる中に見いだせる。

たとえば、散歩出かける。

人に聞かれる。「どこにお出かけですか?」僕はこたえる。「とりあえず、すぐそこに。」

たとえば、ある旅人に尋ねる。

「どこに向かうのですか?」彼はこたえる。「とりあえず、となり町に。」

数年後。

かの旅人は呟いた。

「特に何も考えていたわけではないし、これが目的だったわけでもないが、気がつけば、地球を一周していたようだ。うん、いろいろ見て回って、いろいろ経験した。よし、さあまた、となり町に行こうか。できれば、いままで見たことのない景色か、あるいは見たことがあるが、もう一度みてみたい景色のある町へ。それとも、ここで数日休むのもいい。あるいは、『なぜ、旅を続けているのか』という問いの答えは未だに出ていないけれども、それについてゆっくりと考えてみるのもいい。途中で出会った友人の様子も気になるものだ。やりたいこと、みたいもの、探したいことが、山のように積み重なっていたものだ。しかし、身体はひとつ。時間は止まらない。どれにしようかと迷っているのが勿体無い。歩きながら、考えることにしよう。」

さらに数年後。

彼は、どんどん自由になっていった。初めから自由ではあったが、その可能性は、彼自身の成長した能力と、出会いの中にあった不思議な縁によって拡大し、それに応じた想像とその実現のいくつかが彼にもたらされた。それが、この旅人の人生になった。