簡単に従うなかれ。

何度も何度も繰り返し、教えられてきたことだ。目を見て、耳を傾けて、しっかりと人から学びなさいと。その幻想に付き合うのも大概にしたほうがいい。単純に考えてみて、そんなことを言い出した奴の本心を覗いてみればいい。

そいつは、しばしば無視されたんだ。理由は簡単。話がつまらないからだ。誰でも自分が興味があることなら、誰がなにを言わなくとも、目を輝かせて前のめりで話を聞きに行く。勝手に学ぶ。

じゃあなぜ、そいつは無視されてまで、話しを続けるのかってことになる。誰かに命令されてるからだ、そうしろって。権力だろうか、お金、つまり給料だろうか。あるいは、社会的地位だろうか。なぜこいつは、落ち着いて考えれば、やりたくもないことを、毎日やらされているのか。単純に、そうするように、ずっと教えられてきたからだ。自分で考えて決定し実行する力をどこかで失ってきたからだ。

先人から学ぶことは、実は成功例よりも、失敗例からのほうが多くさらにいえば有益だろう。

話を戻そう。

いま何かしらの権力のもと、それに依存しているならば、いったい何を学んできたというのか。抑圧されれば、自らの心は叫ぶ。その矛先がもし、自分に向けらていないのなら、人を傷つけ続けるだけだ。

最初から、自分自身から学ぼうとすること。それは一番遠い道のりに見えて、もっとも最適な道のりだ。全ての失敗は血肉と変わり、それがそのまま実力を意味し、能力の高さは仕事を生む。そして生きることができる。

生と死は本来、コインの裏表のように次の瞬間どちらが出るのかは、分からないものだろう。五分五分を生き抜くのだから、実際はそう簡単ではない。しかし、複雑な構造によってそれは覆い隠されていく。人に頼って生きていくことが当たり前になる。だから人に頼りたくなる。もし、そこをぐっと辛抱して、自らをまず頼りとして、生き抜くことを決意したなら、人からの助けは、生きる全てではなく、あくまでも補助的な幸運であったことを知るのだ。

そしたら簡単に、人の意見に耳を貸せなくなる。目を向けられなくなる。なぜなら、彼の意見は彼のもので、またそれとは独立に、自分の意見が存在するからだ。

この文章もまた然り、自戒を込めて。