覚悟の違い

なんでもかんでも、言い訳や、理由付けがあるものだ。たとえば、やりたいことをやらない理由。「時間がー」「才能がー」「年齢がー」「人間関係がー」「仕事がー」「お金がー」よく聞く言葉だ。さあ、この全てを叩き伏せよう。

「やりたいなら、死ぬまで諦めなければいい。」それだけだ。さて、自分が変化するように、世界も変化する。1年後にどんな技術が発達してるのか誰にも分からない。偶然の重なりが、どんな奇跡をもたらすのか、もう何度となく経験しているのならば、もっと真っすぐに考えたい。

失敗が怖い?何をもって失敗とするのか。批判が怖い?なぜ人の意見で自分が傷つくのか。孤独が怖い?なんてこった、孤独でない状況とは何か?それは、少なくとも群れることではない。本当の仲間とは何か?例えば、やりたいことのために集った連中に他ならない。

「行動が全てを変える」という話をしたいわけではない。ひとつの覚悟が人生に向ける視点を変えてくれるというそれだけの話だ。理由や言い訳は、いつだって目先のことだ。だから、長期的に考えてしまえばいい。もっというなら、死という限定の外にも考えを広げていきたい。

三国志で有名な諸葛亮は、自分が死んだそのことを戦略に用いた。さらには、彼の思考は何千年の時を超えて人を魅了し続ける。それに比べれば、数十年の覚悟なんて、どれほど小さなものなのか。

言い直そう。「死してなお、諦めない。」そんな力強い覚悟を決めてしまえば、この世界の何一つ、恐れるに足るものはない。