世界のことを考える前に

一体ここはどこで、ここはどのようなところなのかと、疑問を持つこともある。実際の話、それが分かろうが分かるまいが、私はここにいて、感情は動き続ける。

仮に分かったような理論を手に入れたところで、それで感情や欲望を理論で押さえ付けようなどと試みても、ほとんど解決にはならないだろう。

いや、確かにどうにかなるときはある。しかし、欲望は無限に似ている。そのひとつひとつに対して理論を用意して戦いを挑んでいたのでは、その闘争のうちに人生の大半の時間は過ぎ去っていく。

まず向き合うべきは自分自身だ。客観的な考慮としても、自分は世界の一部なのだから、もし世界の改善を望むならば、まず自分を改善することが自分にできる最善に違いあるまい。

さらに、そうした見方とは別に、自分の認識が世界をつくっていることを知るならば、もはや世界とは自分自身であるという視点だって持ちえるのだ。

感情や欲望を、自分と対立した何かと捉えていたのでは非常にもったいないことをしている。彼らは、同じ旅路を共に歩む同行者なのだ。敵として扱うよりも、仲間になろうと試みる方がいい。その恩恵は計り知れない。

だから、目の前の様々についてとやかく言っている時間があるのならば、ぜひとも自らの内部にある諸刃の剣の扱い方を見直すことに用いたい。