足枷を力に変えて。

固定観念や常識。周囲の圧力。それらによる焦燥感。こういった類のものは、自分の足枷となりやすい。

僕は、足枷とは、てっきり、ただ外して終わりのものだと思っていた。しかし、どうやら、足枷を外すには力が必要で、足枷を外せたということは、それ相応の力を身につけたということでもあった。

いたるところ、いたる瞬間に、足枷はある。もし足枷の存在とその克服が、自分の力を成長させていく役割を果たしていたということを思い出すならば、それらを嫌悪するのではなく、もう少し優しい感情によって足枷と向き合うことができるかもしれない。

一番重くて、一番固い足枷を外せたとき、どれだけ自分は成長しているだろうか。きっと、枷が外れたことによる自由を喜ぶことと同じくらい、自分の力の成長にも、驚くに違いない。ならば、憎悪や嫌悪に浸っているヒマはない。むしろ、自らの礎の一部として、それらを有効なものなのだと意識していきたい。