地に足をつけて。

「したくなかったのにしてしまった」という言葉が示すところは、自分の器に自分が入りきれていない、あるいは、自分の器では扱えない何かを扱っているという状況における、その結果を意味しているように思う。

完璧主義者の器は小さくなりがちだ。「あれもだめ。これもだめ。」そういうものの見方は、どうしても視野を狭める。理想を高く持つことはよいのだろう。ただし、今の自分を否定することは、何も生みはしない。それどころか、未来を失いかねない。

できないものはできないと認め、やりたいことはやりたいと認め、そうした今を包み込んでやるのは、まぎれもなく自分の仕事だ。その上で何か理想を掲げたいなら、掲げればいいのだが、それとは逆に、「天に掲げられた理想」から自分のあり方を考えていくと、それは浮き足立った状態であるから、ほぼ確実に行き詰まりを見せる。

たとえば、依存症の克服にあたって、何かを禁じたいのならば、すぐさま禁ずることだけを考えるのではなく、どのようにしたいのか、なぜしたいのかなど、真剣に考えて、まず現実の自分と向き合うことによって、様々なことに気がつける。こうした試みは、遠回りのように見えて、現在問題としている事柄を解決する以上に、大きな発見や気づきなどをもたらしてくれるものだ。

仮に、納得なく捨てられた欲望の数々は、諦めとして寂しさに変わっていく。姿を変えて、欲望はその居場所を求め続ける。結局、彼らを自分の中から追い出すことなどできはしない。それは自分自身そのものなのだから。

だから、地に足をつけて「現実の自分」から、改善の方向を決めて、地道に一歩ずつ進んでいきたい。