反動

何か変化が起こる時、いままでとは違う何かに取り組んだ時、その現象的な変化は、ほとんど心理的な変化ももたらす。ここではその良い悪いは問題としない。

心が暗い波に揺れている時、それは、何かの反動だ。自分の今までの態度や、あるいは最近の食事、睡眠といった、あらゆる要素が考えられる。波の上で彷徨う時、その不確かさによってか、ほとんどいつも、他人の目線や他人の気持ちといった、そうしたことが大事に思えてくる。つまり、そうしたことに、確かさを思い馳せるのだ。

多くの場合、それは徒労だ。どんなに優れた人であろうとも、人である以上、人からの批判は生きる上での必須条項だ。だから、こうした暗い波にゆれるとき、いかに批判されないように、どうするか、を考え始めてしまうが、そうではないのだ。本質はいつも批判の有無にはない。

自己を高めた結果として、批判の減少が生じるのはわかる。しかし、批判の減少を目的に行動するのは、それはもっと暗い波に、沈むような行為に違いない。だから、変化とその反動の罠によって、思考の方向性を誤らないようにしたい。いつだって、自己の行動を規律し決定するのは自分自身だ。

故に、その結果の責任も自分自身にある。さらに言えば、決定と責任は自任性の全てだ。批判を恐れるより前に、自分を納得させることだ。それが、より力強い決定と責任を負う意思の強さを引き出す。自任性が強くなればなるほどに、臆病にはなる時が増えるかもしれないが、それは内在する勇気の裏返しだ。どうか、あらゆる反動を自分の力として、生きていきたい。