成果を待つ力

たとえば、何かに取り組み始める。仮に内的な動機によって始めたとしても、ふとすると成果はまだかまだかと、心が急かすようになる。

1日待つ、それは出来る。3日待つ、出来そうで意外と出来ない。1週間待つ、ここら辺が挫折ポイント1。2週間待つ、意外と平気。3週間待つ、だんだんとだれてしまいやすい。1ヶ月待つ、ここら辺が挫折ポイント2。

3ヶ月待つ、何か様子や空気の変化に気付く。半年待つ、芽が顔を出す。1年待つ、潰れたり喰われた芽をみて嘆く。3年待つ、ここら辺で自然に離脱しやすい。5年待つ、だいぶ遠くまで来たことを知る。6年待つ、上を見てはその差を思う。10年待つ、想像以上のことに出会う。

体験した内で思ったのは、なんとなくこんな感じ。

さて、気が付くと1日が終わる。今日は何が出来ただろうか。何をしただろうか。種をまくことは、一歩を踏み出したなら難しくない。育てる過程の試行錯誤は、根気や好みの違いでいろいろあるかもしれない。ストレスを感じた時なんかに、つい焦りがでてきてしまうけど、成果が出ないことはどーでもいいんだ。今日、何をしたかだけが重要だろう。

焦ると待てなくなるから、はやく解放されようとして、無理をして倒れるか、逃げてしまうか。いやはや、もったいない。逃げることは必ずしも悪くないけど、焦りから逃げ出すなら、本当にもったいない。

待つ力も、力の一種。鍛えることも意味があるだろう。でも、鍛えるということは、待つということでもあるから、ならば、挑戦を続ける者に自然と身に付いていく力なのかもしれない。つまり、大切なことは、三日坊主だろうがなんだろうが挫折にめげないで、失敗を愛して進む前向きさのような気がする。