希望

挑戦した自分をどうにかすることはできても、挑戦しなかった自分をどうにかすることはできない。なぜなら、前者は今と未来のことであり、後者は過去のことだから。

時間や体力やお金などの資源を、どんどん挑戦のために用いたい。富を自分に滞留させることは、気持ちを落ち着かせはするかもしれないが、流動性こそこの世の鍵だろう。

感情の激しい起伏を、今は好ましいと思わないことが多くとも、経験は耐性をつくり、それが一段上の冷静さをもたらすように思う。

たとえば、好きなもの、好きなこと、惚れた人における挫折や拒絶には、それを求める強さの分だけ大きく心を揺さぶられてしまうものだ。しかし、心の大きな揺さぶりの中で、絶望するのか、それでも希望を持ち続けるのか、それは自分で心得ていく必要がある。

大海の波の上に浮かぶ船は、大きな波で沈没するかもしれないが、心と自分の関係はそれとは性質が違う。心においては、希望を持ち続ける限り、船は沈まない。しかし、希望を失えば、大きな波などがなくても、簡単に船は沈んでしまう。

だから、何度でも挑戦し続けることが求められる。批判や攻撃を、ものともしないようになるまで、何度だって自分と向き合い続けたい。そのためには、そうした過程の内でやらかした経験を、知恵に変えて、自分の武器にしていきたい。

大きな流れにのるためには、狙っている流れの初動を決して逃してはならない。それが大きな流れになるのか、初動では判断できないが、それが大きな波になる可能性があるのならば、初動が訪れるたびに挑戦することに意味がある。しかし、もし間違っていたときは潔く見切ることのほうが重要だろう。したがって、諦めない不屈さと長期的展望に立った冷静さを持ち、突き進んでいきたい。死ぬまで続けることを覚悟できたなら、それこそが自分にとって大きな宝だ。その覚悟は、死んでからも輝きを放つかもしれない。

それが富や、幸せや、喜びなどをもたらすかどうかは全く問題ではない。ただ、自らが自らに素直にあれるかどうかだけを重要視したい。しかし、一見簡単に見えるそれだけのことなのに、それこそが、いちばん難しいようだ。

さて、難易度というものは、あくまで現時点の主観的なものだということを忘れずにおきたい。変化する今が改善に向かうならば、必ず難易度は下がっていく。そうなれば、望みは叶うように思う。そして、その可能性を維持し続けることが、希望ということなのかもしれない。