立ち止まっているから、悪魔がやってくる。

たとえば、効率よく作業を進めていく結果として、時間に余裕が生じる。すると、何でもしていい時間ができるわけだが、そこで何をするか特に考えていない場合、依存的でかつ安易な行為にふける可能性が高まる。

選択には思いのほかエネルギーが必要で、自然に任せていると、楽に流れることを免れるのは難しい。かといって、厳しく厳しく生活を律していくことにとらわれていると、自分を見失ってしまうこともある。

そんな時には、自分の手から選択ということを手放してしまうことが有効なのかもしれない。

何をしてもいいような時間が出来たならば、やりたことをいくつか適当にピックアップしてきて、あとはさいころでもふって、どれにすれか選んでしまえば、選択のエネルギーを節約しながら、時間を有効に過ごすことができる確率が高まるかもしれない。

してはいけないことのかわりに、しなければならないことをつくるのではなくて、してもいいことと捉えた上で、したいことを他にいくつか選択肢として持てばいい。あとは、選択の問題。できるだけ、自分の意思から離れた方法によって選んでしまえばいい。

プライオリティを決めることは正直言って、その精神的な労力のわりに、たいした効果を得られない。どれから手を付けようが、最も大事なのは、進行しているというその事実に他ならない。やらなければならないと思い込んでいることが進まないことほど、精神衛生上で自らの障害になるものもない。どちらから進めようかなどと悩む価値のある局面など、そうあるものではない。

ならば適当にさっさと選んで進んでいきたい。決断もせずに立ち止まっているから、悪魔に足下をすくわれる。