修羅場との向き合い方

自分だけの力では、どうにもならない場面というのがある。誰かに頼り、その力を借してもらうことで、どうにかしていく場面というのがある。

一度人に頼ったのならば、事の最後の最後まで、相手を裏切ってはならない。相手の気持ちをないがしろにしてはならない。自分がいかなる状況であれ、一度頼った相手には、全幅の信頼をもって、尊敬と感謝を示さなければならない。

仮に、その誰かに見捨てられることになろうとも、頼ったのは自分自身であり、その責任も当然自分自身にある。見捨てられる恐怖を負えないようであれば、はじめから一人でなんとかしなければならないのだ。

一生の恩を仇で返してしまうような事態もある。とにかく、邪心がなかったのであれば、誠意を持って正直に謝罪を尽くすのみだ。無論、相手の立場に立って、気持ちを考えた上で。状況うんぬんよりも「相手の立場を考えること」それが一番大切だ。

そして、相手から見捨てられるまでは、何度でも死ぬまで向き合い続ける覚悟を決めることだ。運が良ければ、いつか流れはやってくる。そこで、うまく流れていけるように、出来る限りの準備をしておけばいい。

そんなときは、正しいか正しくないか、そんなことよりも、礼儀や仁義こそが本当の宝になる。義を誓った相手がいるのならば、すべてを差し置いて、任を果たすのが、最大の生き方に違いない。つまり、誰かとの関係性の中に、自らで自分を置くことを選択した時は、当然のことなのかもしれないが「自分」よりも「関係性」の重要度が常に優先されるべきだ。それは「信頼」をつくり、お互いに、かけがえのない資産を構築することになる。

追記。

僕は、あるひとりの先輩を結果的に裏切ってしまったことを反省してこの記事を書いた。この記事が、誰かと誰かの関係を繋ぎ止める力に、ほんの少しでも加わることができたなら、それ以上のことはない。当時、周りに支援してくれる人たちがいて、彼らに僕は非常に助けられた。あなたが修羅場にいるのなら、僕もその気持ちが少なからず分かる部分がある。だから応援したい。最後まで読んでくれたということは、きっとそういうことなのかもしれないから、最後に一言。頑張ってください。