証拠の後追い

何か行動の理由を求める時、論理や数字を用いることがある。一定の伝統性を持つ行為なら、すぐさまそれが用意できる。

一方、本当の行動。真似ごとではなく、自身のひらめきや直観に根ざしたものは、大抵、すぐさま客観的なデータは見つからない。さて、そんな時でも、断行すればいい。客観的なデータから導き出した行為でなく、直観から導き出した行為なのだから。現状説明できないが、自らの信念や直観が、これと言ったことは、大抵、後になって説明が出来るような証拠や証明が与えられる。そんな時に必要なことは、知性ではなく、断行する勇気だ。

失敗した際の影響を考慮する。それがどの程度のものなのか把握する。考えてみれば、大したことはない。さて、上手くいった際の影響を考える。もしも、先の考慮と天秤にかけて、それが後者に大きく傾いたなら、もはや迷うことは何もない。常に、失敗の説明は今からでもできるが、上手くいったときの説明は、上手くいったときにしかできないこともある。

証拠が後から追いかけてくるのを楽しもう。ときには、彼より先に走り出す勇気を。