何をしたらいいのか分からない

例えば、なんとなくでも、やりたい事が決まっていたとする。しかし、はじめの頃はどうしたって何をしたらいいのか分からない。そんな中、焦りというものが確かに存在して、何かをしたいけれど、どうしたらいいか分からない。そんな矛盾を抱えることになる。

そんなとき、先が見えないわけだから、辛くて当然だろう。しかし、そこで安心してもいいということ、焦らなくてもいいということをぜひ意識したい。どんな逆境においても、必ず道は存在していて、何をしたらいいのか分からない状態が、永遠に続くことはないからだ。

ヒントはそこらじゅうにあって、気がつくか、あるいは考え抜くか、それによって、やったらいいんじゃないかというアイデアや、それをこなすうちに自分の適性や必要が、浮かび上がってくる。

一歩目はうまくいかないことだって多い。ただ、どんな風にしても一歩目を踏み出せたなら、それだけで、とてつもない前進だ。なぜなら、あとは大抵の場合、歩みを止めなければ遠くまで行けるからだ。もし、一歩目が踏み出せないとしたら、後ろを振り返ることも重要だ。後ろにもっと適した道があるのかもしれないし、あるいは、足を引っ張る何かが、あるのかもしれない。

  さて、周知の通り、世界は目の前に広がるだけが全てではない。また、自分の外側にそれがあるというよりは、むしろ内側こそ、それに彩りをもたらしている。

だから何もかも、行動が全てというわけではなく、足をとめて内省を深める時期は、確かに大事なことなのだ。何をしたらいいのか分からない時期は、動かなければできないことにばかりに、目を向けてしまいがちだが、動かないからこそできることもあるのだ。むしろ、全体から見ると、それは前者よりも重要なことが多い。

  だからそこで周りに引っ張られないで、そもそも意味や動機は何であったかということにしっかりと納得するまで、自らと向き合ったなら、一歩に千里の一部としての価値や、さらには万里の一部としての価値を持たせることができる。ただ歩くといっても、そうして自らがしていることに、納得と何かしらの自覚を持った者と持たざる者との間には、心理的にどれだけの差があるだろうか。

だから、焦る必要はない。今、止まっていたことにむしろ、感謝するべきと、気がつく時が必ず来るのだから。