組み合わせ

既製品は便利だ。買えば手に入る。たいてい即日使用可能だろう。商品を眺める。欲しいものを探す。けれど、ぐっとくるものや、どんぴしゃなものは見つかり難い。探せば探すほど、そうではないことに感覚は気がつく。さて、自分の欲求という未知の領域に、何をもって対処するのか。

その前に、話を少し変えよう。急がば回れだ。

僕らは識ることと同時に、不足と向かい合うことになる。美味しい「幸福」の味ほど忘れ難い。味わうほどに渇望し、得るために、依存を深める。向かい合う術は、実はいたってシンプルなはずだ。自分の感覚やセンスを現実に創り出せばいい。

既製品にその具現化が見つかることは稀だ。だから、探すよりも創るほうが着実なことに、一歩でも創り出せば分かる。確かに、一からつくるのは最初は難しい。なら、組み合わせればいい。たとえば、紅茶に牛乳を注げばミルクティーができる。しかも自分の好みの濃さのやつができる。気分はいつも安定しているわけじゃない。自分で調整することを覚えるなら、いつだってそれと対話することができる。

もっと言えば、例えば家だって、材料と土地と労働の組み合わせだ。分解して考えれば、自分でつくれそうな気がしてくるものだ。当然、どれだけ準備をしていたにせよ、最初は失敗だってするだろう。けれどやり直すことは心次第で、何度だって試みてみればいいことだ。焦ることはない、何事も試作品からだろう。

誰かのマニュアルは参考程度に、自分の記録をつけるといいのかもしれない。自分のための、そのセンスの渇望を満たしてやるための設計図が、きっと万巻の書より、意味を持つことを信じて。

追記。

現実に既に存在するものの中から、確かに、どんぴしゃと思うようなことに出会えることがある。しかし、それは幸運だ。だから、日々において、それを求めることに必要以上に労力を費やすのは方向性が違う。やはり、創造の意思だけが自分自身であり、本当に重要なことだ。